top of page

 DIARY~活動記録   

2015/2/8(Sun)

 

6:30

起床・朝食

 

 

8:00

チェックアウト

二日間なんとかお天気もっていましたが、最終日ついにぱらぱらと小雨が。

今から「あまちゃん」の「きたてつ」のモデルとなった三陸鉄道と、BRTを乗り継いで陸前高田へと向かいます。

 

陸前高田は市の中心部が津波で壊滅。実に7割もの世帯が被害を受けたエリアです。街が丸ごとなくなるとはどういうことなのか、ぜひ自分の目で見ておくといいと中田先生からもかねがね言われており、この機会を活かすことにしました。

 

 

8:43

釜石発の三陸鉄道南リアス線。列車は海沿いの線路を走ります。ゆったり快適な車内。入り組んだ海岸線に沿って走る車窓の風景は、本当ならばどんなに心和む美しさだったでしょうか。

今見えるのは、黙々と護岸工事や盛り土を進めるブルドーザーたち。ここに昔あったのは家々?畑?今は想像するしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓から見える景色は・・・

盛駅からはBRT(Bus Rapid Transit 専用路を走るバス)に乗り継いで、大船渡から陸前高田へ。BRTは、寸断された鉄道の代替となる大切な市民の足。これを見ていただくと、どんなものかイメージできると思います。ちなみに、バスの車体に描かれているキャラクターは、気仙沼のゆるキャラ「ホヤぼーや」。あのユキコが大好きなホヤがモチーフです。>▽<。

10:30

陸前高田着。

復興スポットを巡って語り部さんが説明してくださる気仙タクシ―の「復興コース」を利用しました。

陸前高田観光物産協会ホームページ 

気仙タクシー 復興コース

 

これがJR陸前高田駅。

旅が大好きなクロイワ青年

まず見せていただいたのは広大な「何もない」土地。これがついこのあいだまで街だったと言われても、それをイメージすることは不可能です。瓦礫と化した街を片付け、道を整備するだけでどんなに労力がかかったことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高台に上り、浄土寺という由緒あるお寺に着くと、立派な山門にくっきり水跡が。こんなに高いところまで波が来たとは、絶句です。陸前高田は広く懐の深い湾形で、それが津波の水位を上げ、巨大な水の壁となって海沿いの平野部に押し寄せたということでした。

 

聞けば、最初の予報では津波の高さは「3メートル」だったそう。防潮堤の高さは5.5メートル。これまでの経験からほとんどの人が「だいじょうぶ」と判断し、すぐに避難をしなかったそうです。その後、6メートル、10メートルと訂正されましたが、時すでに遅く、多くの人が逃げ遅れる結果となりました。だから見通し甘かった気象庁が悪い、というような単純な話ではありませんが、多くの人の口から「最初は3メートルと言われたから・・」という言葉を聞きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺の後ろの斜面に、まだつぼみも固い2本の桜が。これは「桜ライン311」というプロジェクトの第一号。津波が到達した地点に桜を植え、避難の目印のラインを作ろうという試みです。地震が来たら、桜を目指して駆け上がる。春になれば花の帯が街を取り囲みます。すばらしい企画ですね。

この記事を書いているのが実はもう4月なのですが、浄土寺の桜が咲いたというニュースが入っています。

 

桜ライン311 陸前高田市の津波到達点上に桜を植樹し、震災を後世に伝える為のプロジェクト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、建設中の復興マンションや、仮設住宅街を回り、震災の記録と復興計画を展示する「復興まちづくり情報館」を見学。慰霊碑に合掌。

引き続いて、震災遺構に指定され、解体せず残すことになった集合住宅や道の駅施設。凄まじい破壊の様子がそのままに残されています。

曇天の2月、海沿いは風も強く、何もないところにぽつんと残る遺構を見上げていると冬の寒さがなおさらこたえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、つらい光景ばかりではありません。陸前高田の復興事業といえば、このベルトコンベア!

巨大なベルトコンベアを張り巡らし、土地の造成のため必要となる大量の土砂を、山から沿岸へ一気に運搬します。その量なんと、1日ダンプ4000台分!

通常なら10年近くかかる作業を2年半で終わらせるとのこと。日本の誇る技術力が復興を支えます。その威容はさながら鉄の龍。気仙川にかかるコンベアは「希望の架け橋」と名付けられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてツアーの最後は、あの「奇跡の一本松」

陸前高田の海岸に広がる高田松原は地元の人々の憩いの場であり故郷の原風景であったといいます。その松原の7万本の松はあの日、2000人近い犠牲者と共に消え去ってしまいました。たった一本の、この木だけを除いて。

タクシ―を置いて10分近く歩いたその先、荒涼とした風景の中にすっくと立つ孤高の一木が見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この木は、ご存知の方が多いと思いますが、もう生きてはいません。津波には耐え抜きましたが、土壌が塩にやられ、ゆっくり枯死してゆきました。

今あるのは、1億円以上をかけて樹脂で補強し元の姿を復元した、「サイボーグ松」です。

そうまでして遺す必要があるの? 人間のことが先では?

内外からそんな声も多く挙がったと聞きます。実は私(マリコ)もそう思っていました。

 

でも実際にこの場に立ち、その姿を望んだ時、「これでいいんだ。これは必要だ」と強く感じました。

今まで見てきた圧倒的な惨禍の爪痕に、恐ろしさ、痛ましさ、無力感に襲われずにはいられなかったのですが、この木を見たとき、心に灯りがともったような思いがしました。希望、勇気、励まし。そういった、前向きな思いを持つことができました。

 

そしてもう一つ。大きな傷を負い、多くのものを失くしたこの町には全国からの支えが必要です。そのために、この木の持つメッセージ力が強い力を発揮します。人の心を集約し、方向性を持たせるには、このような強いシンボルが必要なのです。

この木の存在が地域の人に勇気を与えた事実があり、今後も全国の人々に被災地のメッセージを伝え続けてくれるなら、今この木がもう生きていないから、嘘で、意味がないと考えることはないと思いました。

この木を復元するという決定について、副市長さんがとても丁寧に説明をなさっています。「無駄遣い」「欺瞞」などと感じる方は、ぜひ読んでください。

なにより、ここへ来て自分の目で見てほしいと思います。

 

 

一本松から駐車場に戻ると、先に歩いていたはずのユキコの姿がありません。あれ?いったいどこに・・・?

きょろきょろしてると近くの仮設店舗から出てきました。ここは味噌醤油造り200年の老舗の八木澤商店直営店。陸前高田に行くならぜひと思っていた店だそう。やっぱりここで買えると感慨ひとしお。来た甲斐ありました!^o^

 

八木澤商店ホームページ

ほぼ日刊イトイ新聞 東北の仕事論・八木澤商店篇

 

 

そしてタクシーのガイドさんが前職で三陸銘菓「かもめの玉子」のさいとう製菓にお勤めだったことが判明。

「来る度必ずお土産に買ってます!」なんて話をしたら、仮設の直営店にご案内くださって、コーヒーとお奨め製品の試食サービスを!

ごちそうさまでした!また買いますよ~^o^/

 

 

 

 

 

13:30

ガイドさんとお別れし、BRTで気仙沼へ。

 

14:30

気仙沼駅。

ユキコ・マリコ・クロイワくんの3人旅もここで終わりです。

姉さん2人に付き合い、仮設住宅訪問や準備のお手伝い、カメラマンなど、大活躍してくれたクロイワくん。頼もしく、時にはいいボケもかましてくれて、とても助かったし、楽しかった。

何か感じるもの、これからの日々に活かせるもの、得ることができたでしょうか。

また何かでぜひ一緒に。これから一人でまだ旅を続けるとのこと。気をつけてよい旅を!

 

15:00~

私たちは一関経由で花巻へ。ユキコは花巻でもう一泊、マリコは空港へ向かい、大阪へ戻ります。JR花巻駅で今回のアイタイツアーは終了。

 

たくさん見、たくさん聞き、たくさん触れた、濃密な三日間でした。

送り出してくださったみなさん、迎えてくださったみなさん、私たちの提供するものを受けて取ってくださったみなさん、大切な物語を私たちに聞かせてくださったみなさん、活動を支えてくださったみなさん。ほんとうに感謝ばかりです。

そして忘れちゃならない貴重な相棒、ユキコとマリコ、お互いの存在にも心から感謝。

 

ということで、次回は5月末にまた!

 

 

震災前の市街地(WEBサイトから)

水がこの看板の上まで

この桜が咲いたら春

4月の様子(ニュースから)

4階まで水が来た跡が

外壁だけが残った道の駅

内部はこんな有様

ココフル・プロジェクト/aitaikara 2014  All Rights Reserved.

bottom of page