Kさんのお話
二人の友人の30代女性。大槌から釜石へ仕事で通っている 職場のある釜石で被災し、大槌の自宅に帰れるまで何日もかかった。電気はないし、携帯もつながらないので、被災地には何の情報もない。外の世界の人が知っていることも、渦中の自分たちには全然届かない。家族や知人が無事かどうか、他...
居酒屋Yのママのお話
釜石の居酒屋の名物ママ。いち早く再建された店はいつも地元の人や復興事業で滞在する人たちでにぎわっている 避難所には4か月いたわよ。最初は着の身着のままでね。全財産はポケットに入ってた50円だけ。それから避難所暮らしが始まったさ。...
Sさんのお話
看護師さん。震災後に釜石に戻り、仮設住宅入居者のサポートに 震災の時は千葉にいました。大きな揺れを感じた時、「三陸沖だ」と直感しました。そして、釜石にいる親族たちのことを、「ああ、あの人たち、死んでしまう!」と思いました。なぜそう思ったかというと、その数日前にも三陸沖で地震...
Iさんのお話
釜石で仮設入居者のサポートスタッフとして勤務 津波でご主人とお母様をなくされる 震災のときは、避難した高台から、黒い水が街を押し流していくのを見ていました。 ふしぎなもので、そんな光景をこの目で見ていながら、自分の家も流されているとは思わないんです。それは少しも頭に浮かばな...
宮古薬剤師会 吉田先生のお話
宮古薬剤師会会長 宮古市健康堂薬局にて あの時、揺れが収まって、近くの栄町の店舗に駆けつけると、そこでは防災無線の音は聞こえておらず、従業員たちは津波が来ることも知らずに、停電し余震が続く店内でお客さまに対応していました。大変なことが起きているということはその時にはわからな...
宮古薬剤師会 内田先生のお話
宮古薬剤師会災害対策委員長 山田町のクローバー薬局にて 震災の日、私はちょうど休暇中で、仙台で買い物中に地震に遭遇しました。大渋滞のなか、なんとか車で西へ逃げ、無事であったものの、それからの身動きが取れない。ガソリン供給が途絶えて給油ができないため車は使えず、鉄道は不通。3...
大槌の漁師さんのお話
大槌漁港で停泊中の漁船の漁師さん 50代半ば あの日もいつも通り海にいた。異変が起こって、津波が来るとわかったからすぐ沖へ出た。船は充分な水深があるところにいたら波来ても大丈夫なんだ。それは船乗ってるもんなら誰でも知ってるからな。...
解体業のKさんのお話
秋田から来た解体業のKさん 58歳 ここ(釜石)で何してるかって?解体の仕事よ。秋田から来てる。 今解体してるのは住宅なんだけどね、建って1か月の家なのよ。流された家を、やっとのことで建て直して、そしたらその土地がつい最近決まった市の計画に引っかかったことがわかって、それで...
Aさんのお話
Aさん:大槌の仮設住宅に住む50代女性 地震の時は仕事場である漁港の水産加工場にいた。経験したことのない揺れが長く続いた。「津波が来る」とのアナウンスがあり、高い階に上がったけれど、最初はそれほど危機感はなく、みんなで「怖かったね」などと言いながら歩いて移動していた。そうし...
Bさんのお話
Bさん 釜石市、60代男性 地震が来た時は車に乗っていた。ラジオで6mの津波が来ると聞き、職場兼自宅に急いで戻った。妻は津波のことを知らなかった。建物が鉄筋なので、防災アナウンスが聞こえなかったらしい。ピンと来ていない様子だったので、わざと「10mのが来るぞ!」と脅し、逃げ...