Bさんのお話
- Marico Isii
- 2014年7月4日
- 読了時間: 2分
Bさん 釜石市、60代男性
地震が来た時は車に乗っていた。ラジオで6mの津波が来ると聞き、職場兼自宅に急いで戻った。妻は津波のことを知らなかった。建物が鉄筋なので、防災アナウンスが聞こえなかったらしい。ピンと来ていない様子だったので、わざと「10mのが来るぞ!」と脅し、逃げ支度を急がせた。そのあと数分もしない間に、波がやってきた。
自分は3階にいたが、妻は2階にいた。波がぶつかってきた瞬間、「ああ、妻は死んだ」とわかった。あの衝撃を感じたら、この中で人間が生きていられるわけがないと誰でもわかる。
かろうじて壊れなかった家に、80代の母と二人でいた。水がなかなか引かず、引いてもがれきだらけ、どこにも行けない。食べ物がなかった。二日間、ビスケットひと箱と牛乳1パックが二人の食事だった。
周囲もみな同じで、報道では言われなかったが、店から品物を取っていくような行為も見聞きした。生きるために仕方がないこととはいえ。
しばらくして支援活動も届いて、「生きる」ことはできるようになったが、「生きよう」と思えるようには長いことならなかった。気力がわかず、「生きていたくない」とも思った。
(どうやって、こうして仕事を再開できるまで立ち直れたのですか?)
やっぱり子供たちがいたからだと思う。子供たちは県外にいて無事だった。娘は嫁に行っているが、息子はまだ大学生で、卒業させてやらねばならない。子供のためになんとか頑張らねばと思った。
そういえばついこの前、久しぶりに妻が夢に出てきた。妻はとにかく気が強く口が達者で、生きていた時は私の言うことに「はい」と素直に返事することなんかなかった。それが夢の中で、「あの時あなたの言うこと聞いといたらよかったわ」と。そう言った。
自分が何と返事したか覚えていない。
***<思ったこと>***
Bさんは恰幅が良く、明るく人当たりのいい方。外から見ただけでは、そんなつらい記憶を背負っておられるとはとても想像が及びません。それだけに、お話を聞いてその体験の重さに言葉を失いました。
それでも、「もう生きていたくない」という状態から気力を奮い起こし、わずかな時間で元の仕事を再開させたポジティブな精神力に頭が下がる思いです。地域のみなさんとのつながりも深いようで、それもまた大きな助けになったのだと想像します。
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