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大槌の漁師さんのお話

大槌漁港で停泊中の漁船の漁師さん 50代半ば

 あの日もいつも通り海にいた。異変が起こって、津波が来るとわかったからすぐ沖へ出た。船は充分な水深があるところにいたら波来ても大丈夫なんだ。それは船乗ってるもんなら誰でも知ってるからな。

 そっから見てた。ただ見てた。もうどうしようもねえ光景を見てた。

 陸には戻れんから、そうやってずっと海の上にいた。水ん中は陸から流されてきたもんがぐるぐるぐるぐる渦巻いて、見たら人がいっぱいだ。みんな素っ裸よ。がれきに揉まれて着てるもんみんなはがされてしまってな。女の人だって、おっぱい大きいのも、小さいのも、そんな姿で浮いてるんだ。串団子みたいに連なってよ。

 でもそんなん見ても、何にも思わんかった。なあ。一人や二人なら、あー可哀想だ、酷いこっだ思うけどな、もうあんだけ多いとな、なんも感じなくなる。なんも思わなくなる。可哀想だとも、哀れだとも、悲しいとも。ほんとだよ。そんなもんなんだ。

 それからそんな遺体をずっと収容し続けた。わしらがやるしかねえからな。延々とやったよ。

 だけど死んだらもう楽だからな。生き残った方が地獄だよ。あん人らはもうその後の苦労やらきついこと、味わわねえでいいんだからな。ほんとはその後が地獄だったよ。

***<思ったこと>***

港でたまたま声をかけた漁師さんでしたが、凄惨な体験を、よそ者の我々に対してここまで赤裸々に話してもらうことはあまりありません。オブラートにくるまない率直な語りでその内容の痛ましさがリアルに迫りました。

酷過ぎる事態に遭遇して感情が麻痺するというのは、心の防衛機能なのでしょう。でもそんな地雷のような記憶を背負い続けるのはとても苦しいことだと思います。

また、遺体収容を民間の人がやっていたという事実も、当たり前のことなはずなのに、今までほとんど意識していませんでした。考えてみればあれだけの数の犠牲者、自衛隊や消防・警察だけで対処できたはずないですよね。市井の、なんの訓練も受けていない普通の人が心に傷を負いながらやってくださったんです。本当に。。。(言葉が出ないです)


震災時のこと、その後のこと、いま現在のこと。

被災地訪問で出会った方々から聞いたお話をご紹介します。

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