Iさんのお話
- Marico Isii
- 2015年2月6日
- 読了時間: 3分
釜石で仮設入居者のサポートスタッフとして勤務
津波でご主人とお母様をなくされる
震災のときは、避難した高台から、黒い水が街を押し流していくのを見ていました。
ふしぎなもので、そんな光景をこの目で見ていながら、自分の家も流されているとは思わないんです。それは少しも頭に浮かばなかった。これが自分に起こっていることだと思わなかった。おかしいですよね。
それから、延々と主人と母を探す日々が始まりました。
最初のうちは、避難所からどこへも行けない。移動する手段がありません。情報も入りません。
ガソリンを手に入れるために、歩いて行って並ぶんです。貴重なガソリンを、そうしてみんなで分け合いました。
そして、遺体安置所に通い続けました。でも主人がどうしても見つからない。
水で亡くなった人は、もう見てもわからないんです。ふくれてしまって、髪もなくなって。家族でも、どんなに必死で見ても、わからない。服はもちろんなくなっているし、体の表面ももう。。。だから足の指の形とかで見分けるしかないんですね。
怖いとか、気持ち悪いとか、そういう気持ちはぜんぜんありません。ただ、探すだけ。
安置所で、知らぬ者同士が顔見知りになるんですよ。いつまでも見つからない家族が、ずっと通うから。ああ、あの方今日も来てる。まだ見つからないんだ。って。
主人は最終的には見つかりました。でも結局自力で探しあてることはできなくて、もう骨になったような状態で、そうじゃないかって連絡があって、鑑定でわかったのです。でも、そんな状態だから、ああこれが主人だ、亡くなったんだっていう実感を持つことができない。だから心の整理をきちんとつけることができないんです。
探している時って、早く見つかってほしい見つけてあげたいという気持ちの裏で、どこかにまだ望みを持っていたいって気持ちがあるんですね。記憶喪失になってどっかで生きているんじゃないか、みたいな、そんなありえないような希望でも、心の片隅にずっとあったものですから。
震災からもうすぐ4年が経ちますけれど、自分にとって、何かが変わったとか、終わったとか、そういうことはないですねえ。気持ちの上では、何も変わらないです。
***思ったこと***
後のSさんと一緒にお話を聞きました。お話しいただいたとことの一部しか記録できていませんが、とても淡々と語っておられたのが強く印象に残っています。聴いているこちらは、胸が詰まったり涙がこみ上げたり、感情がぐいぐい揺さぶられるのですけれど、そんな段階はもう遥か彼方に置いてきていらっしゃるのがよくわかりました。
経験していない者にはどう想像力を尽くしてもわからないことがある、越えられない壁がある・・と思う瞬間ですが、それでも、お話を聞かせていただいたことに深く感謝の思いです。今まで読めずにいた、石井光太さんの「遺体」を勇気を出して手に取ってみようと思いました。
コメント