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宮古薬剤師会 内田先生のお話

宮古薬剤師会災害対策委員長

山田町のクローバー薬局にて

震災の日、私はちょうど休暇中で、仙台で買い物中に地震に遭遇しました。大渋滞のなか、なんとか車で西へ逃げ、無事であったものの、それからの身動きが取れない。ガソリン供給が途絶えて給油ができないため車は使えず、鉄道は不通。3日間連絡もつかず、ニュースも届かず、自分の家族が、仲間が、町がどうなっているのかもわかりません。それでもどうすることもできないのです。

 やっとのことで山田に戻れたのは1週間後。そこで目にしたものは、津波と火災に破壊しつくされた町でした。薬局は、建物は持ちこたえたものの、横転したトラックに待合室部分を押し潰されて大損壊。散乱した積み荷のイカやエビが腐り、ヘドロと混じって惨憺たる有様でした。それでも従業員が全員無事であったのは何よりありがたいことでした。

 山田町の医療機関でかろうじて残されたのは1軒の診療所と2軒の薬局のみ。後は要である県立病院を始め、全滅状態でした。それでも震災当日から3名の医師が医薬品を集めて山田南小学校に救護室を開設。その後各地からの医療チームが支援に加わり、他の避難所にも支援が入って行きました。

 自らが被災した町内の薬剤師も、店舗の片付けを終えて調剤業務に参加。医薬品は泥をかぶったものを洗浄し、汚染のないものを注意深く見極めて使用していました。

 医薬品・食糧・水・燃料・電気、必要なものすべてがないないづくしの災害医療現場の最前線で、前例も、ガイドラインもない懸命の活動が続きました。

 その中で、私たち4つの薬局は、活動を通じて地域医療の大切さを共有したことで、協同してひとつの薬局を立ち上げることになりました。新薬局の名前は「クローバー薬局」。希望の四つ葉のクローバーがモチーフです。それが今のこの薬局です。

 町はご覧のとおり、まだ復興途上です。震災前から、我々は人口減と高齢化という問題を抱えてきましたが、震災がそれに拍車をかけました。その意味でも「復興」は二重に困難な作業です。

 このあたりが本州の最東端だということはご存知でしたか?

 この地域は海の幸、特にウニがおいしくて、自然もとても美しい。いま国がトレイル(注:環境省が整備を進める東北沿岸の自然遊歩道「みちのく潮風トレイル」)を作っていますが、観光にはすばらしい地域なんです。そういった方面で町おこしができればと思っています。

 地域医療を考えることは、町のこれからを考えることでもあります。そのために何ができるか、考える日々です。

***<思ったこと>***

終始穏やかに、落ち着いたトーンで話してくださるので、つい状況がコントロールされていたかのように感じてしまうのですが、1週間も被災した家族のもとに帰れないとか、帰ったら親しんだ街が瓦礫の山と焼け野原に変わっていたとか、何をどうすべきか誰もわからないまま待ったなしで救護活動に入ったとか、内容はまるで嵐のようです。

医療のお仕事をされてたからといって、これが誰にでもできることだとは思えません。それを淡々と、当然のことのようにお話され、地域のこれからのことも見ておられる。

町はこういう方たちの力で支えられているのだなということを強く感じました。

※このお話は、当日おうかがいしたお話に岩手県薬剤師会の冊子「東日本大震災 薬剤師の活動記録~その時、薬剤師は何をしたのか~」の内容を付加して構成しました。


震災時のこと、その後のこと、いま現在のこと。

被災地訪問で出会った方々から聞いたお話をご紹介します。

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